Bienvenue sur le blog de masahiro sogabe

京都大学大学院法学研究科・曽我部真裕(憲法・情報法)のページです。

「違憲審査の活性化のために(覚書) 統治構造において司法権が果たすべき役割 第2部(4) 」(判例時報2425号)

文字通り「覚書」、雑感レベルですが、いろいろ書いてみました。

 

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「タトゥー施術行為に医師法17条を適用して処罰することは、職業選択の自由を侵害するおそれがあり、憲法上の疑義があるとされた事例」

 大阪高判2018年11月14日判時2399号88頁の評釈です。

あいトリ 「表現の不自由展」 中止事件 決定の妥当性と残る課題

「報道界挙げて社会と対話を -- ネット時代の被害者報道と実名報道原則」(新聞研究11月号)

【12/20発売予定】第二東京弁護士会人権擁護委員会・編『インターネットとヘイトスピーチ』(現代人文社)

あいちトリエンナーレ2019国際フォーラム「『情の時代』における表現の自由と芸術」での講演原稿

10月5日・6日に「あいちトリエンナーレ2019国際フォーラム『「情の時代」における表現の自由と芸術』」が開催されました。

私は都合により出席できず、録画で出演させて頂きました(慣れておらずお見苦しかったと思いますがご容赦下さい。)。

THE PAGEさんによる録画が公開されています(公式のものは後日ということです[10月15日追記・こちらで公開されました。)。

その際の発言原稿を、ご参考まで以下に掲載しておきます(実際の読み上げでは多少異なっている部分もありますが、趣旨に異同はありません。)。

 

 

民主主義における「表現の自由」の根本理念
                                曽我部真裕

 この国際フォーラムの冒頭のプレゼンテーションとして、私の方からは、表現の自由の根本理念について、憲法学の立場から簡単に説明をいたします。芸術の自由や美術館のあり方についての憲法学の考え方については、次の横大道先生からのプレゼンテーションに譲り、ここでは少し大きな話をさせて頂きます。
 まず、少し歴史を振り返ります。そうすると、表現の自由は、憲法で保障される様々な人権の中でも、もっとも古典的で重要なものの1つであるということが分かります。1776年、アメリカで作成された世界で最初の近代的な人権宣言だといわれるバージニア権利章典は、表現の自由は、自由の有力なる防塞の1つであって、これを制限するものは、専制的政府と言わなければならないとしています。また、かの有名な1789年のフランス人権宣言も、表現の自由を、人のもっとも貴重な権利の1つだと言っています。
 このように、表現の自由は、欧米近代の人権保障の歴史の中で、格別の重要性をもつものと考えられてきました。1946年に制定された日本国憲法も、一切の表現の自由を保障するとしていますが、これはこうした欧米の流れを踏まえたものです。さらに、日本では戦前、表現の自由が厳しく弾圧された苦い経験をもっており、その反省を踏まえて、単に表現の自由を保障すると宣言するだけではなく、それに加えて、検閲を禁止することも明示的に定めています。
 
 では、なぜ表現の自由は重要なのでしょうか。表現の自由の重要性を裏付ける理由には様々なものがありますが、表現の自由の根本理念との関係で重要なこととして、ヨーロッパ人権裁判所の判決を紹介したいと思います。ヨーロッパ人権裁判所は、ヨーロッパ人権条約という条約を、加盟国が守っているかどうかを監視する裁判所です。日本では余り知られていませんが、ヨーロッパ人権条約は、ヨーロッパ諸国だけでなく、ロシアやトルコなど周辺諸国も加入する非常に重要な条約です。
 この裁判所が1976年に下した有名な判決に、次のような一節があります。「表現の自由は民主的社会の本質的基礎であり、社会の発展及びすべての人間の発達のための基本的条件である。表現の自由は、好意的に受け止められたり、あるいは害をもたらさない、またはどうでも良いこととみなされる『情報』や『思想』だけではなく、国家や一部の人々を傷つけたり、驚かせたり、または混乱させたりするようなものにも、保障される。」。

 

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Arret Handyside


 ヨーロッパ人権裁判所によって示されたこのような考え方は、日本をはじめとする他のの民主主義国にも同様に当てはまるものですので、残りの時間は今の引用について少し説明する形でお話します。
 まず、表現の自由は民主的社会の本質的基礎であるということです。表現の自由と民主主義との関係は様々なレベルで語ることができますが、ここでは2つのことをお話します。
 第1に、社会をより良くするための政策論議には、「不都合な真実」も含めて率直な議論が必要であるということです。ちょうど、10月1日から消費税の税率が上がりましたが、これ以上に税率を上げることが必要なのかどうなのか、いずれまた議論になるはずです。もちろん、税率は低いほうがよいという考え方が強いので、メディアでもそのような意見が多く紹介されます。しかし、そのままでよいのか、税率を上げないことによって何か重大な問題が生じないかという、「不都合な真実」も国民は知る必要があり、そのような不人気な意見も含めて、あらゆる意見が議論されなければ、適切な政策決定はできないでしょう。
 民主主義との関係での2点目は、権力監視のためにも表現の自由は不可欠であるということです。権力は必ず腐敗するという言葉がありますが、民主的な選挙で選ばれた政権といえども例外ではありません。権力監視のために特に期待されるのは報道機関です。先に紹介したヨーロッパ人権裁判所も、報道機関は民主的社会の番犬として重要な役割を果たすということを繰り返し述べています。また、日本の最高裁も、「報道の自由は、憲法が標榜する民主主義社会の基盤をなすものとして、表現の自由を保障する憲法21条においても、枢要な地位を占めるものである」と述べており、表現の自由の中でも報道の自由が重要だとしています。現在の日本では、報道機関に対する信頼が低下している印象を受けますが、これは民主主義にとって非常に懸念すべき状況と言わなければなりません。
 以上、表現の自由と民主主義との関係について述べてきました。開かれた政策論議のためにはあらゆる意見が認められなければならないということ、権力監視のためには表現の自由、とりわけ報道の自由が重要だということです。このテーマでは、ほかにも指摘すべきことはありますが、まずはこの2点をご理解頂ければと思います。

 

 次に、先ほどのヨーロッパ人権裁判所の判決の言うところでは、表現の自由がすべての人間の発達のための基本的条件であるということについてです。
 表現の自由は、他の人権と同様に、人がその人らしく生きていくために不可欠な自由です。人は誰しも、社会に向けて訴えたいこと、発信したいことがあるはず。特に、社会の多数派の常識と異なる考えを持つ人々は、そのように思うと考えられるが、しかし、このような少数派の人々は、多数派の同調圧力にさらされて生きづらさを抱えがちであり、その表現の自由を尊重する必要性はとりわけ高いものがあります。
 例えば、50年前の女性の置かれた状況を考えてみてください。今よりも遥かに男性中心的な社会の中で、たとえ大学に行くことができても、卒業後は男性の補助的な仕事しかなく、結婚すれば当然のように退職して専業主婦になるというライフコースしかなかったわけです。そうした中で、より自立的な生き方を求める女性たちは、社会に向かって発言する切実な欲求を持っていたわけで、それは表現の自由として尊重されなければなりません。こうしたことは、社会の多様性を尊重することにもつながります。
 また、発信された表現に接した人々にとっても、考え、視野を広げるきっかけとなる。こうした表現の受け手の権利は、「知る権利」と呼ばれ、これも表現の自由の一部として保障されます。

 

 3番目に、表現の自由は社会の発展のための基本的な条件だということです。これは、今挙げた女性の地位の例からも分かります。少数派であった自立を求める女性たちの声が、最初は当時の常識に反するとして非難を浴びたことでしょうが、徐々に多くの人々の賛同を得て、少しずつ女性の生き方の多様性を認めるようになってきています。日本ではなお多くの課題が残っていますが、50年前と比較すれば、社会は大きく変わったと言えるのではないでしょうか。表現の自由には人々を説得し社会を動かす力があるのです。その時々の常識に反するからと言って、少数派の人々から発言の場を奪うのは誤りです。

 

 最後に、「表現の自由は、好意的に受け止められたり、あるいは害をもたらさない、またはどうでも良いこととみなされる『情報』や『思想』だけではなく、国家や一部の人々を傷つけたり、驚かせたり、または混乱させたりするようなものにも、保障される。」という部分です。これはこれまでの3つとは違い、表現の自由がなぜ重要かという議論ではなく、どのような表現までが許容されるかという問題についての指摘です。
これまでのお話でも出てきたように、社会の少数派による表現には、多数派の常識に真っ向から反するという意味でショックを与えるようなものがありえます。先ほど来言及してきた女性の地位の例でいえば、女性の自立の一環として、女性の性的な自由を求める主張は、当時の多数派がもっていた女性の貞節を重視する道徳観と正面から衝突し、大変な非難を招きました。しかし、このようなショッキングな意見であっても、表現の自由として保障されなければならないというのが今紹介した判決の示すところで、日本でもこうした考え方がとられるべきでしょう。
 もちろん、表現の自由と言っても限界はあるわけで、例えば、名誉やプライバシーといった特定個人の権利を侵害するようなものや、子どもの性的搾取の一環である児童ポルノの製造や流通といったものは、表現の自由を上回る価値があるものとして、法律によって禁止することが許されます。しかし、多数派の道徳観や常識に反するという意味でショックを与えるといった程度の理由で、表現の自由を制限することは、今回述べてきた表現の自由の根本理念に反することだと言わざるを得ません。

 

 以上、冒頭から抽象的な話で恐縮でしたが、基本的な考え方をお話しました。表現の自由は、民主主義社会にとって不可欠であり、個人の人格の発展や社会の発展のための基本的な条件となるがゆえに、最大限の保障を必要とするということがご理解いただけたのであれば幸いです。
 ご清聴どうもありがとうございました。

                                   以 上

 

 

あいちトリエンナーレのあり方検証委員会について

委員を仰せつかりました。 

資料は下記のページに掲載されています。

 ・設置要綱・構成員等について

第1回会議(2019年8月16日)配布資料・会議録

第2回会議(9月17日)配布資料・会議録・録画

表現の自由に関する国内フォーラム(9月22日)録画 

第3回会議(9月25日)配布資料・会議録・録画

表現の自由に関する国際フォーラム(10月5日、6日)録画

  1日目  第1部  第2部  

  2日目  第1部 第2部

 

第3回会議で了承された「中間報告」及び「別冊資料1」は、以下にも掲載しておきます。

 (10月9日追記)その後公表された「別冊資料2 憲法その他、法的問題について」もこちら(一番下)に掲載しておきます(ただし、近日中に微妙に増補したバージョンに差し替える予定)。

(10月15日追記)別冊資料2を「増補版」に差し替えました。

中間報告 by sogabe on Scribd

別冊資料1 データ・図表集 by sogabe on Scribd

別冊資料2 憲法その他、法的問題について(増補版)(※10月15日掲載) by Anonymous olxeJLK4l on Scribd